もう1週間くらい前のことですが、生中継された大会の配信で、特定のファンが出す声援が大きくて耳障りだ、という声がSNSに投稿され、それを発端として「声援」についての意見が飛び交っていました。
野次ではないなら出して当然という声や、試合の展開や状況をしっかり把握したうえで声援を送るべきという意見、単に邪魔だという意見、そして現役の選手たちから「声援は何よりもパワーになるからどんどん出してほしい」「マナーやモラルだけは守ってね」という発言があったりで議論が熱くなっていました。
その状況を見ていて、つい4年くらい前まではコロナ禍で声を出したくても出せない状況があったけど、今では声出しすることは是か非かなんて議論が出されるほどその頃は遠い過去のことになったんだなあ。すっかり元に戻ったんだなあ。という心境になったのです。
今回はこの「声援」についてのお話です。

会場観戦での良し悪し
会場や配信で聞こえる声援。それについて私の思うことを。
まず、配信で聞こえる特定のファンの方の声は、会場だとほぼ気にならないです。
配信の場合はおそらく中継用の集音マイクの位置によって特定の人の声だけを拾いがちなのもあるでしょうが、会場観戦では集中力も増すためヒドい野次や間の悪い掛け声じゃないと気になりません。こればかりは集音マイクの場所のせい、でしょう。
観戦はやっぱり配信よりも会場が一番!と言いたいところなんですが、実はそうとも言い切れません。
プロレスだけじゃなく、プロ野球もコンサートも、電車や飛行機の座席でもそうなんですが、その時間を快適に過ごし、純粋に楽しめるかどうかって、結局は「席ガチャ」なんですよね。隣や前後にどんなお客さんが座るのかまでは指定できませんし。

コンサートやプロ野球の席ガチャ
例えばコンサート。
アーティストの声に負けないくらい大声で一緒に唄っちゃう人や、同じ振り付けを激しく踊っちゃう人。腕の上下でガンガンぶつかってくる人。などと、距離感を気にせずに自分だけ楽しんでしまう人たちが隣や前後にいた場合、そのコンサートはいい思い出にはなりません。だったらこのアーティストのライブは行かない…にもなってしまいます。実際に私はその経験から行かなくなったアーティストもいるくらいです。
例えばプロ野球。
みんなで同じ歌を唄って応援するエリアが決まっているので、それが苦手な場合はその席以外で観戦すればいいんですが、それでも席ガチャはありますよね。野球よりもビールを飲みに来ている人、ずっと会社内の話をしている休憩室気分の人、贔屓のチームが勝ってても負けててもイライラして文句ばかり言っている人、には結構な頻度で出くわします。なので、私の場合プロ野球は球場よりもテレビやネットの配信で見た方が集中できるのです。

プロレスでの席ガチャ、と「声援」の本質
一方でプロレス。
例に挙げたこのふたつのジャンルよりも席ガチャ要素は低いと思うのですが、それでも残念なときはあります。
昔のプロレスの話ばかりしている人。試合は片手間のチラ見で終始スマホでSNSを見たり投稿したりする人。頼んでもないのに連れの人に解説をし続ける人。特定の選手への応援ではなく批判やブーイングばかりする人。セミ前あたりで居眠りし始めるだけでなく周りに聞こえるくらいのいびきをかく人。やっぱりイライラしててプロレスに文句ばかり言ってる人。
こういうお客さんが隣や前後にいた場合は席ガチャのハズレパターンです。
昭和や平成前期くらいには必ずいた遠くからでも聞こえてくる空気の読めない野次で空気の読めなさという自己顕示欲をさらけ出す迷惑客はさすがに減ってはきてますが、それでもゼロにはなっておらず、団体によっては観戦のマナーとして「周りの迷惑になる野次は退場させる」というお触書を出しているところもあります。
ここで、最初の「声援」についてですが、これまで挙げた残念な例ではひとつも「声援」という言葉を使っていないように、声援はどんな大きさでもどんな回数でも問題なんてありません。
「声でする応援」=「声援」なので、応援という意思が乗っていれば好きなだけ自由に送るべきだと思います。
大声が迷惑、ではないんですよね。小声や動作だってダメなことも多いです。大事なのは、応援という意思があるかないかです。ただ、それはお客さん個人の判断基準なのですが。

プロレス価値観が高い観客
逆に席ガチャ大当たり!と思えたパターンで思い出したのが、隣がプロレスファンのアメリカ人観光客で、観戦中のリアクションが実に本場!試合が進んでいくとこちら私にも話しかけてきたり、「おい、今の技見たかい」というジェスチャーで興奮を伝えてきたりで、日本にいながらレッスルマニア気分を味わえました。
外国人客といえばもうひとつ。今から15年程前ですが、後ろの席で日本語はわからないながらもひとりで観戦していたアメリカの観客が印象に残ってます。
試合開始からしばらくは特に大きな声もリアクションもせずに日本のプロレスを淡々と楽しんでいたのですが、ある試合だけ感情が大爆発していました。男色ディーノ選手の試合です。
いつものように対戦相手に男色殺法を繰り広げるディーノ選手。場内は歓声と笑い声で包まれます。もしかしたら彼のプロレス予備知識に“男色ディーノ”という存在がなかったのだと思うのですが、そんな空気の中、悠々と掘り続けている男色ディーノ選手に対して、日本人の私でもわかるような汚いスラングと自身の中指を駆使してブーイングではない罵詈雑言を浴びせるくらい激怒していました、彼。それはもう、試合中にディーノ選手が攻撃しているときはずっと。お尻が出たときなんて、もう…!
結果その試合はディーノ選手が勝利したのですが、彼は母校がアメフトの地区予選で敗退してしまったくらい落ち込んで、本気で悔しがって、退場のときまで罵詈雑言と中指を立てていました。
周りが笑っているから笑おう、怒っているから怒ろう、じゃなく、自分のプロレス観をしっかり掲げて、彼は本気でプロレスを楽しんでいるなあ、とうらやましくなったものでした。

声援は没入している証
このケースを現代に当てはめてみたとき、きっとただの「マナーの悪い外国人客」という扱いをされてしまうかもしれません。でも、プロレスを楽しんでるから出てくる声、動作なんですよね。
選手は意図していたものとの違いはあっても、お客さんに反応してもらえることが一番なんです。それは試合に没入させていることの証ですから。
観客もプロレスを見ているときくらいは没入したいんです。気付いたら声出してた!なんて最高の感覚じゃないですか。
もちろん見る側は周囲への配慮として「夢中になり過ぎない」という気持ちはあるに越したことはないでしょう。でも、夢中になれないのは一番よくないことですから。プロレスというジャンルであればなおさら。
会場でも配信でも、観戦のときくらいはどんどん没入していきましょう!

今回のまとめ。
何度も言うよ 君は確かに
プロレスを愛してる
迷わずに 声援
観客側からの声援のメリットとは
よく「皆さんの熱い声援がプロレスラーの力になります!」という声援の選手側のメリットを耳にします。
では観客側のメリットって何なのか…と考えたところ、今その瞬間「没入してる!」という自己啓発力であり価値観の向上につながっているのでは、とも思えました。
それこそ「光」のように、相手も自分も照らす、あらゆるパワーになるものなんですよね、声援って。
では、またここで。

