プロレスは争いです。
今回はそれについてのお話を。
あの日に感じたこと
プロレスの戦いの基本は闘争です。
まず個人として。そしてタッグでの対戦や、ユニット抗争、さらに団体対抗戦とフィールドの範囲が広がり「チームのために」が重要になります。
パートナー。仲間。応援してくれる人。それらを糧にしてプロレスラーは毎回リングの上で超人的な戦いを繰り広げています。
そして、私たち観客はその対抗意識や勢力争いを見て熱狂し、興奮し、感動し、明日への活力源を得ているのです。
戦いですから、もちろん相手がいます。相手側にもパートナーや仲間がいて、応援をもらって、同じようにその戦いを見てファンは元気をもらっています。

争うことには理由がある
プロレスは安全ではありません。
裏切りや罠や奇襲は日常茶飯事で精神的にもすり減りますし、肉体面でいえば過剰な攻撃を受けたり、流血したり、ダメージによる怪我もいつも隣り合わせです。
でもプロレスラーは戦います。
自分のため、チームや団体のため、そして応援してくれるファンのために。
見る側は自分が信じているチームを当然応援しますが、相手チームを恨むこともあります。煽り煽られた興奮状態の末、敵対するチームや相手選手が許せなくなることもあります。
ただ、それぞれの団体やユニット、各個人の選手も「自分たちが一番」「自分たちが強い」「自分たちがこの世界を正しく導く」という理念があることは共通しているので、逆に立って考えると「正義は悪」「悪は正義」なのです。抗争というのは「正義感の押し付け合い」ですから。
観客はそのプロレスにおけるイデオロギー対立がぶつかりあうリング上での熱戦を見て刺激を受け、高揚し、最終的には「良いものを見た」という充実感でいっぱいになり、プロレスの素晴らしさで感動するのです。

充実できる争い
プロレスを見ていると心が震えます。
激しい打撃。華麗な飛び技。危険すぎる投げ技。絶体絶命からの大逆転。
観客は息を呑み、興奮し、歓声を上げ、時には涙することも。それがプロレス観戦でしか得られない充実感です。
プロレスラーは全力でぶつかり合い、受けることで強さを誇示し、必ず相手も立て、勝負をします。その先には、勝敗や観客視点とは別の充実感が待っています。
プロレスでは、争いが「物語」と「エンターテインメント」に昇華され「充実感」になるのです。
そうです、プロレスは争いなのです。

争いのあとに何が残りますか?
しかし、現実での争いはまったく違います。
プロレスが教えてくれるのは、争うこと自体が悪なのではなく、「どこで」「どのように」争うか、その先に何が生まれるか、が大切、ということです。だから最高のドラマが何十年も続けて展開しているのです。
現実社会での国と国の争い。
言葉で心を切り裂き、差別が人を追い詰め、兵器で命を奪う。未来が見えない世界。
そこにエンターテインメントは皆無。残るのは深い傷と憎しみと後悔だけです。
プロレスのような充実感はひとつも存在しません。

プロレスは価値ある争いです
プロレスは争いです。
相手を攻撃し、痛めつけ、時には攻撃され、傷つけられ、血を流し、徹底的に勝ちを目指す。
プロレスは争いですが、非日常で充実感がゴールだから素晴らしいのです。
そして、争いは非日常のプロレスのリング内だけにしましょう。
日常の現実世界での争いはあってはならないことです。
無駄な血を流す争い。ゴールに充実感が存在しない戦い。
それは誰も見たくない物語ですよ。
と、2026年2月28日に感じたことでした。

Against War
今回のまとめ。
戦争、ダメ。ゼッタイ。
では、またここで。

