2025年6月24日、後楽園ホールにて開催された「“DEATH PAIN” invitacional」。そのメインイベントで組まれたIWGPジュニアヘビー級選手権試合「エル・デスペラードvs葛西純」の蛍光灯&ガラスボード+αデスマッチを配信で視聴しました。
今回はこの試合を通じて感じた「デスマッチへの拒絶と受諾」についてのお話です。

好きと苦手とデスマッチ
3度目となる両選手のシングルマッチですが、今回はIWGPのベルトを賭けた試合がデスマッチで行われるというシチュエーションが話題になりました。
この試合に至るまでの経緯や、試合のレポートに関してはここではあえて省かせていただきます。
この試合が決定し大会が終わるまで、私の頭に過ったのは「デスマッチという非日常の中のさらなる非日常な刺激物」に対してアレルギーがあるファンの人たちはこの試合をどう捉え、どう見るんだろう、ということでした。
そもそもデスマッチは昔からファン間でも賛否がはっきり分かれる試合形式です。
賛成側は、その過激さが試合の緊張感や選手と観客の興奮を高め、選手の覚悟と精神力を引き出し、生きざまを見られると評価します。流血や凶器アイテムの使用は感情を揺さぶるに最適であるという見方です。
一方で否定側は、肉体と技術と感情表現だけでストーリーや勝負を見せるのがプロレスであり、過度な暴力や肉体への凶器攻撃は必要としていない。また、単純に見るものとして血や切る刺さるという物理的な痛みなどショッキングなシーンに耐えられないというのもあります。
これはどちらの意見も正しいです。

好きなのに見られないもどかしさ
デスマッチが売りの団体は別ですが、団体側の配慮として、イレギュラーな試合形式の場合は「この試合は過激な試合形式のルールです」と事前に告知がされます。そのブランドが持つイメージではないものを提供する際には大事な告知かと思います。
であれば、葛西選手のファンでデスマッチが苦手という人はおそらくいないと思いますが、デスペラード選手のファンだけどデスマッチは無理なので今回の試合は見ません、というファンにとってはもどかしい気持ちにしかなりません。現にそういう声も目にしましたし。
自分は通常のプロレスの試合もデスマッチも分け隔てなく見られる全方位型のファンなので大丈夫ですが、そんな好きだけど見られないもどかしい気持ちになっているファンに対してどう勧めれば良いんだろう…と考えてしまいました。

多種多様だからプロレス
プロレスは、ひとつのジャンルの中にさらなるジャンル分けがされる、あらゆる色をした底なし沼を持つ特殊なジャンル。
すべての沼に入ってしまうにはファンであっても覚悟が必要です、浸かった後に「やっぱり違った」となると、そのジャンルそのものから引いてしまいそうになる、と自覚できるからです。
様々なことを考えた末に、先ほどの疑問にはこういう答えが出てきました。
「自分が見たいものだけ見ればいい」
見たくないなら見るな!という横柄な考えではありません。
多種多様の表現方法があるプロレスなので、ファンの趣向も当然、多種多様です。
デスマッチは見たくない。笑いの起こる試合は見たくない。インディー団体は見たくない。メジャー団体は見たくない。男子は。女子は。アメリカのは。日本のは。…。
それらすべて、見たいものを見よう!でいいと思います。
だって、プロレスを見たくない!ではないんですから。こんなプロレスが好きだからこの試合を見たい!で全然いいのです。好きと苦手は何にだってあるものですから。むしろ自信持ってほしいです。
ただし、デスマッチはくだらない。インディーは面白くない。メジャーはつまらない。と単純に否定だけするファンにはならないでください。そう思ってても自分の心の中にだけしまっておいて。それを好きな人からしたら、そういう意見や感想は見たくもないし腹が立つだけですし、そう言ったところでひとっつもプロレス界のためになりませんので。お引き取りください。

デスマッチの反骨心と対抗心
デスマッチの話に戻しますが、最近主流になっている切る・刺さる・割るというアイテムを用いたデスマッチはハードルが高いままでいいと思っています。
むしろ、それが=プロレスになっては困ります。
デスマッチはアンダーグラウンドとしての誇りが価値を高めエネルギーを発生させている部分もあるので。
試合に出場する選手も、それを見届ける観客も、設営や状況管理をするスタッフも、デスマッチというものは簡単には手出しできないんだ、というハードルの高さを見せつけてもらえれば、現在以上の価値でデスマッチが今後も行われ続けるしょう。
また、最近は選手の間でもデスマッチをリスペクトする傾向が強いですが、逆に、声を挙げてデスマッチを全否定する選手が現れるのも面白いかもしれません。
それぞれが交わることなく、試合内容で戦うイデオロギーの対立は見ている側も相当刺激が強いものになります。
選手も観客も団体も、ブレない姿勢と信念があるから、プロレスというジャンル内の競い合いであり高め合いが生まれるのだと思います。

デスマッチはプロレスのひとつ
今回のまとめ。
デスマッチはプロレスの選択肢のひとつ
それを選ぶのは選手や観客それぞれ
でも、何を選んでもプロレスを選んでいる
この事実が重要

デスマッチは“死”を通じて“生”を教えてくれる唯一無二のエンターテインメントです。
6.24の「“DEATH PAIN” invitacional」でも生きる希望を見せてくれました。
葛西純選手の「生きて、家に帰るまでがデスマッチ」というプロレス史に残る名言がこの日も身と心に沁みたのでした。
デスマッチが凄い。ではなく、プロレスが、プロレスラーが凄いんだ。ということも改めて感じられた貴重な試合を見終えると、余韻でしばらく放心状態でした。
では、またここで。