現代を生きるうえで一番大事なことは、現代に順応することである。
この名言は、私が今考え付いたものですが、順応できない人間が取り残されていくのではなく、できないのに自己主張して生きていくことで周囲に害を及ぼし煙たがられるのでしょう。
その是非はともかく、年長者のそれは俗に「老害」と呼ばれ、簡単に言えば面倒くさい存在になり、もはや立派な個性です。
個性が大事なプロレスラーですが、この「プロレス老害さん」という個性は必要なのでしょうか。
今回は選手やOB、そしてファンも含めて他のジャンルに比べて多数存在する「プロレス老害さん」との付き合い方、についてのお話です。

老害の特徴と連想する人
まずは一般的な老害というものの特徴を考えてみます
・自分が正しいと思い込んで、他人の意見に耳を傾けない
・自身の成功体験に基づいた価値観を押し付ける
・若い世代や新しい文化を真っ向から否定する
・地位や権力を利用して高圧的な態度をとる
・感情的になりやすく、間違いを認めない
・昔話が多く、話がくどい
といったことろでしょう。
そして、「プロレス老害さん」は、現役のベテラン選手、引退した元選手、年配マスコミ記者、古参ファンを対象に、上記のような特徴の見られる“ごく一部”の人たちのことを指します。
さて、皆さんはここでどんなプロレスラー、どんなOBや関係者が思い浮かびましたか?
誰とは言わなくて良いですし、人それぞれで異なるかと思いますが、プロレス関係にはプロレス老害さんがわんさかいる、と言わざるを得ないのが現実です。

老害の言葉は愛情のテスト
今年もいくつか目にした耳にしたプロレス老害さんたちによる発言や行動、現代の真ん中で生きている選手やファンにとっては実に厄介なもので、どうしても目に入りますし耳をふさいでも入ってきます。
そのイライラの発生源であるプロレス老害さんとはどう付き合っていけば良いのでしょう。
まず、拒否することができないのであれば受け入れてしまうということです。
インタビューや動画などで耳にする苦言以上アドバイス以下の現代プロレス界への問題提起に対し、全部に目くじら立てることも、全部を聞き流すこともせず、自分自身のプロレスフィルターを一度通過させて必要かどうかを自然に選別できるようになる。これのが重要です。
このプロレスフィルターがしっかり確立され機能していれば、どんな言葉もプロレスの出来事のひとつとして受け止められるのではないでしょうか。
老害への苛立ちは、自分のプロレスへの価値観や愛情を試される機会でもあるのです。

きっと誰もがこちら側
そして、選手もファンも、プロレスというジャンルに携わる人間は基本的にみんな面倒くさい人間と認識してしまうことです。
プロレスラーは強烈な個性とプライドが必要。名を馳せた選手であればそれがもっと大きくなります。
今は「老害ウザい!」と言う側だけど、何十年後には自覚もないままに言われる側になっている可能性は誰にでもあります。老害って自然と世代交代できるから永遠になくならないものなのです。
ベテランのファンもそういう選手を見てプロレスの印象を深くしてきたので、昔の記憶と現代を比較してしまうのでしょう。
もう「プロレスの住人=老害予備軍」くらいの諦めは必要です。自分がいつそっち側になるのかもわからないのですから。
それが基本、ということは、もはや“害”ではありませんよね。現に、謙虚が過ぎて自分を卑下してばかりの好感度を気にする優等生気取りのベテラン選手の方に不快感を感じるものです。プロレス的には、ナイスガイより老害、ですね。
平常なのはプロレスの中では“ガイ”より“害”だという感覚を強めに意識してみましょう。少し楽になると思います。

自覚と順応で自制心を保つ
悲しいことに、誰もが老害になる可能性があります。
プロレス老害さんと呼ばれる人たちも、実は目まぐるしい進化のバネになってきたのです。
叩くより「自分もいつかそうなる」という自覚を持った方が、プロレスを長く楽しめるコツかもしれません。
今回のまとめ。
誰でもなる可能性がある老害
プロレスというジャンルはさらに生みやすい
現代に順応して“害”化を防ごう!

長けりゃ偉い、は大間違い
時代やスタイルの変化を実感できるプロレスは長く見れば見るほど感慨深く情緒豊かになるジャンルです。
ですが、長く見ていれば見ているほど偉いというものではありません。
選手もキャリアは重要ですが、それだけでリスペクトされるというものでもありません。
一番大事なのは最初に述べたように、現代に順応できるかどうか。それはセンスでもあります。
我々ファンも常にセンスを研ぎ澄まし、時代やスタイルの変化に順応した楽しみ方で愛を注いでいきたいですね。
では、またここで。


