2025年6月9日、後楽園ホールで開催された「新日本プロレス×DDTプロレス 一面対抗戦~矢野通vsスーパー・ササダンゴ・マシン~」。両団体の過去と現代と未来を1本の線に繋げた素晴らしい大会でした。
ここでその観戦記は書きません。
この試合の決着である「両者リングアウト」について痛烈に感じたことがあったので、今回は「両者リングアウトの価値」についてのお話を。

両者リングアウトでどうなる?
両者リングアウト(両リン)とは、両選手がリングの外に出ている状態でレフェリーが20カウントを数え(ルールや団体によっては10カウント)、その間にリングへ戻れなかった場合に適用され、引き分けという裁定になります。ドロー決着なので勝敗はつかず、タイトルマッチの場合はベルトの移動がありません。
プロレスで場外乱闘は基本的に認めておらず、このルールがあることで故意にリングへ戻らせないというスリリングな駆け引きが見られたり、番狂わせや緊張感を生むこともありますが、突然試合が不透明なまま終わってしまうため、観客の多くは「落胆」の反応を示します。
もちろん、この両リンはプロレス特有のルール。ほかの格闘技では場外に出たら即リング内に戻して試合再開、相撲だったら場外に出した時点で決着ですから。
ただ、この曖昧なルールがプロレスの魅力のひとつであることは間違いありません。場外や客席で屈強な者たちが乱闘している非日常な風景がさらに非日常になるのです。

両リンの利点と難点
両リンのメリットを考えてみます。まず、先ほどの「非日常な光景が見られる」ということに加え「決着がつかないことで次戦への期待が高まり、ストーリー展開や因縁の継続に繋がる」「決着がつかないので豪華なタイトルマッチや実現不可能に近かった顔合わせの試合が実現できる」などが挙げられます。
逆にデメリットとしては「決着がつかないことで、その日来場した観客の期待を裏切るというリスクの高さ」があり、昭和の時代のようにそれが当たり前になってしまうと試合の価値が下がってしまいます。
昭和の時代、大きなタイトルマッチや夢の対決が実現したときは頻繁に、いや、むしろこれがデフォルトの決着方法でした。両リンは昭和プロレスの象徴と言っていいかもしれません。ただ、近年はプロレスがスポーツライクな競技に変化したことでこの不透明決着はほとんど見られなくなりました。
ですが、極まれに顔を出してくるので気が抜けないのです。そのルールがあるということが、リーグ戦などの勝敗を重視する試合で良いスパイスになっています。

今の時代、両リンは必要なのか
長く見続けているファンの中には両リン結末の復活を望む人もいると聞きます。
ですが、個人的な意見を言うと、私は大反対、ルールは残すべきだけど不透明決着では何も生まれない!と思っているのです。
大きなタイトル戦が見られる、夢の対決がようやく実現する、という期待感は大事ですが、もっと大事なのが期待よりも充実。見終えた後、単純に「プロレス、面白い!」と感じさせないと発展は望めません。せっかく見に行った、もしくははじめて観戦した大会のラストが不透明決着では、今の時代では特に「置いていかれた」感が強いですし、推しの選手が勝っても負けても素晴らしい試合と結末に満足した状態で帰ることが次へと繋がるはずです。昭和時代を経験してきた私が思うくらいですから。

両者リングアウトで感動した日
そんな中で見せつけられた6.9後楽園ホール、一面対抗戦の両者リングアウト決着。
これがまったく不透明決着ではなかったのです。
今回の両リンは不透明ではない、まっさらで透き通った両者リングアウトでした。横一列に並ぶけど、白黒はっきりさせない。2時間以上に及ぶ対抗戦が両リンで終わるという不透明決着だったのに、その並びと色のスライドを見せる手法がお見事過ぎて、その決着方法に充実と感動しか出てきませんでした。
長くプロレスを見てますが、両者リングアウトという結果に満足も納得も感動もしたのははじめての経験でした。

不透明も透明にできるプロレス
本日のまとめ。
物事は白と黒、透明か不透明か
どちらが良いかは、その色を扱う心意気次第
プロレスのエンターテインメント性を象徴するルールである両者リングアウト。
そんな不透明決着と思っていたものが、次への期待だけでなく、ひとつのゴールとしても使うこともできる。それが現代のプロレスの奥深さと進化。
適切なタイミングや手法次第では、不透明であることも必要、不透明も透明にできるんだ、と感じさせられたのです。
では、またここで。