アナタハシアワセデスカ?なプロレス、の話

コラム

ゴールデンウィークです。この週末も全国各地たくさんの会場でたくさんの興行がありました。どれも話題性に富んだ大会ばかりで、情報を追うだけでも終日費やしてしまうほどボリューミーな毎日です。
そんな中で、ある女子選手が口にしたひとつのワードが引っかかり、心の中の違和感が取れなくなりました。それは試合や大会だけでなく、プロレス界全体、しいてはエンターテインメントというものすべてに関わる言葉でした。
「明日、人が不幸になる興行がありますけども、私は、絶対にプロレスラーもお客さんも関係者も、全員幸せにする興行をもっともっとでかくしていきます」
全員が幸せになる興行はわかるけど「人が不幸になる興行」なんてあるのだろうか。自分が感じてないだけで、ほかの人たちは不幸になっているんだろうか。そもそもそれはエンタメではないのでは?賛否ではなく、とても重たい言葉として頭から離れなくなってしまったのです。
今回はそれを浄化させるため、プロレスを通じてわかる「幸せと不幸せの感じ方」についてのお話です。

勝敗による幸せと不幸せ

まず、単純に試合の勝敗で考えてみます。
プロレスのメイン後に見られる光景は、さっくりですが「ハッピーエンド」「バッドエンド」のふたつ。
善(ベビーフェイス)が勝てばハッピーで悪(ヒール)が勝てばバッドなのか、といえばそうではあるのですが、じゃあこの善悪の基準はなんだろう、と。
それは見る側の基準であって、自分側か相手側かというだけなのです。数の差はあれど、バッドエンドだった人たちの裏でハッピーエンドだと喜ぶ人もいるので、全員が幸せになれるかといえばそんなことはないということになります。

生きざまからの幸せと不幸せ

勝ち負けではないプロレスというジャンルが生み出すハッピー。選手が出す技だったり、感情だったり、言葉だったり、嫉妬だったり、という生きざまから得られる幸せは、プロレスの面白さにおいて重要なファクターです。
ですが、必ず見られるものではないですし、中には評価と真反対に複雑でがっかりした気分のまま帰路に就くお客さんもいるのは確かです。

与える側の幸せと不幸せ

選手やスタッフの側から考えたとき、いい試合(大会)ができた、いい印象を残せた、次に繋がる戦い(興行)ができた、という自己満足と利他的な部分で幸せを感じることができます。その反面で、納得できない、悔いしか残らない、という選手やスタッフも当然いるでしょう。
むしろ、いてくれないと向上心の問題として逆に心配にもなりますし。

幸せも不幸せもどちらも「ない」

大きな形のビーズクッションはその座り心地とフィット感からよく「人をダメにするソファ」と呼ばれています。一度座ってみると「あー、確かにこれはダメになる」という感覚になりますが、実際それを使っている私はまだダメになっていません。あくまで表現の方法としての「ダメになる」です。人が不幸になる興行という言葉もその個人の表現のひとつ
個人的持論ですが「人が不幸になる興行なんてない!」と言い切れます。ただし「全員が幸せになれる興行もない」でもあります。その両面性こそがプロレスの魅力なのです。

決めつけを打破するスキル力

結局は、見る側がいかに率先して楽しんで「ハッピー」を自分で生み出せるかが大事なのです。
プロレスやエンタメはあくまでそれを生み出すきっかけを与えてくれるもの
興行を主催する側は自信を持ってお客さんにそれを提供しているので、その出された自信のあるものに対し頭や心の中で増幅させて楽しむ方がよりお得になれるし、そのスキルが身につけられた私はちょっぴりお得な人間なんだなーと思います。楽しむためにお金を払い会場まで足を運んでいるのだから、そこで楽しまないと損ですもん。

そして、そのスキルは誰にも邪魔されたくないし邪魔する権利もありません。
自分が関わらない興行に対して何を言うのも自由ですし、観客がその興行をどう見るかも自由。ですが、その自由を決めつけで侵すものがエンタメを名乗っていても説得力がないのではないでしょうか。
今回の「人が不幸になる興行」という言葉に猛烈な違和感を感じたのは、おそらくここの部分だったのでしょう。そして、その発言には「ふーん」という戯言を聞いたくらいの感情で軽く受け流した方が良いな、と実感しました。

エンタメって人生

人生でもそうですよね。自分の幸せと不幸せは他人が決めつけるもんじゃない
周りの人たちに「不幸だね」と言われてもこちらが「いいえ」と言えば不幸じゃないです。
「幸せそうね」と言われても「いいえ」と言えば幸せでもないです。決めつけないでほしいです。
自分が素直にどう思っているか、どうしたいか、だけです。
確かにエンタメを提供する側には人に幸せを与えることで自分が不幸になることもあるかもしれない。だけど、それを決めるのは本人以外いないのです。見ている側はもちろん、選手や関係者も。

今回のまとめ。

幸せも不幸も判断は自分
楽しんだもん勝ち
エンタメは人生、人生はエンタメ

最近は街中で突然「アナタハイマシアワセデスカ?」と尋ねてくる外国人風の人を全く見かけなくなりましたが、もし今そんな人にそう聞かれたら「それを尋ねるあなたが、私がその質問に答えることで幸せになれば幸せです」と答えるでしょうね。
何がどう幸せで人がどう幸せなのかは、永遠に答えの出ないシアワセ問答です。

では、またここで。

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