プロレスとコンプラの微妙な関係、の話

コラム

ここ数年、頻繁に目にするようになった言葉のひとつに「コンプライアンス(compliance)」というものがあります。
コンプライアンス(コンプラ)とは「法令遵守」を意味します。でも、単に「法を守ればOK」というものではなく、その企業や環境において相応しい倫理や秩序が重要なポイントのようです。
プロレスというジャンルはその特異性から、社会的に信用されないと端に追いやられる競技ですが、リング上で見られる光景はコンプラとは無縁の非現実的な空間でなければいけません。
今回は、現代のプロレスとコンプライアンスのバランスについて、のお話です。

コンプライアンスとの共存

プロレスは過激なパフォーマンスや観客を熱狂させるストーリーなどで、社会的ルールや常識を超えたエンターテインメントとして発展してきました。ですが、現代はコンプラを強く求められる時代です。
暴力や反秩序を助長するように見えるプロレスは、このコンプライアンス重視の風潮とどう折り合いをつけているのでしょう
この疑問を考えると、プロレスの独特な世間的立ち位置はコンプラと共存しているのがわかりました。

コンプラに配慮を払うプロレス界

まず、プロレスの本質は「闘い」です。が、同時にプロが観客を相手にする「ショー」でもある二面性を持っています。
プロレスラーたちはそのために肉体を酷使し、危険な攻防を繰り出します。ですが、その裏には日々の鍛錬と練習、緻密な技術力と判断力、選手への信頼関係があるのです。だからこそ観客はリング上の激しいぶつかり合いを見て安心して興奮できます。
同時に、プロレスで闘うことが「無意味な暴力」ではなく「対戦相手と競い、削り合う肉体の自己表現」であることを選手もファンも理解しています。
また、過激な流血試合や挑発的で不適切な言動は批判されやすいですが、プロレスではこうした非現実の要素をあえて取り入れることで、観客へ感情の解放を提供しており、その状況に参加できることを観客は望んでいます。
この虚実入り混じるバランスこそが、コンプラとは一見対立するように思える部分であり、プロレスの大きな魅力です。

一方で、プロレス団体は社会的なコンプライアンスの重要性を無視しているわけではありません。
たとえば、海外大手団体では、危険度の高い技の使用禁止など選手の安全のためのルールが厳格に設けられており、リスクを最小限に留める取り組みが行われています。
また、試合中に事故が起きた際のトレーナーの配置や医療体制も整備されています。これは、会社として労働環境の安全性や責任を意識した結果です。
そして、テレビやネット配信での中継がある場合は流血や非倫理的なパフォーマンスを控えさせ、家族向けのエンターテインメントを強調することもあります。

さらに、世界的な問題への配慮もしています。
プロレスは多種多様な選手が活躍するジャンル。過去にはそれを誇張するストーリー展開もありましたが、現代は人種差別や性差別というテーマに敏感です。そのような表現は批判を浴びるリスクが大きいということを団体側も理解しているので、ストーリーやキャラクターにおいて、倫理的な基準からはみ出ないよう、また批判的な風潮があればすぐシフトチェンジを図れるよう常に監視がされています。
このように、プロレスはコンプライアンスの影響を無視していないのが現状です。

コンプラを超えた位置のプロレス

しかし、ここで注目すべきは、現代のプロレスがコンプライアンスに完全に屈していない部分です。
もし独自性のあるプロレスがすべての倫理や安全基準に縛られ、過激さや予測不能さを失えば、正直もう競技として成立しません。リング上での肉体表現や感情開放、観客を驚かせる攻防やストーリーこそがプロレスの生命線であり、これを完全に「安全化」してしまうことは、プロレスというジャンルそのものの否定です。

プロレスとコンプライアンスは本質的に「相容れない関係」にあると言えるでしょう。
コンプライアンスが求める秩序や予測可能な行動は、プロレスの本質と魅力である混沌とした世界観と相反するものです。
それでも、現代のプロレスが存続し、多くのファンを惹きつけているのはなぜか。
それは、団体や選手たちが見せる自己表現には相容れずとも「コンプライアンスを尊重する姿勢」があり、そこにはプロレスでしか感じられない「教訓」がたくさん含まれているからです。
ただ過激なことをやるわけでなく、そこに至るまでの選手の感情やキャリア。そして攻撃する相手への気持ちと信頼。何よりそれを表現するために行っている過酷なトレーニング。それらを観客に伝えて、そして観客は汲み取り感銘を受けるものが、プロレスラーとプロレスファンのコンプラを超えた関係なのだと思います。
このバランスが、プロレスを現代の社会にも適応させ、広く受け入れられるエンターテインメントとして成立させているのです。

今回のまとめ。

プロレスとコンプライアンスは尊重と抵抗
そして、プロレスラーとファンはコンプライアンスを超えた関係

コンプライアンス」という言葉の響きがいつも「ドン・フライ選手」に聞こえてしまう私は過度の中毒者のようなので、社会的コンプラを尊重すべく、プロレス会場以外では人一倍慎重に生きております。

では、またここで。

タイトルとURLをコピーしました