突然の負傷と責任の在り処、の話

コラム

車同士の事故で加害者のみに過失割合が課せられるのは、いわゆる「もらい事故」。
信号無視はもちろん、センターラインを超えた対向車との接触や衝突、後方車の前方不注意や車間距離不保持による追突、などのケースが挙げられます。
このような場合は基本的に過失割合が10:0に…と、冒頭からどこぞの保険会社やら免許更新の教習やら聞くような話ですが、ここはプロレスの話をする場です。安心してください、プロレスの話に絡んできますよ。
先月、女子プロレスの試合で相手の技を受けた選手が首を負傷し欠場する、という事態がありました。
これだけなら怪我と表裏一体のプロレス界では良くあることなのですが、その後、SNSを中心として怪我をさせた(技をかけた)選手が良くない、怪我を負った(技を受けた)選手が下手だ、という論争が起こったのです。
今回は珍しく時事ネタで、この件に関しての個人的見解と率直に思ったことなど。いわゆる「裏投げ論争」のお話です。

裏投げ論争の流れと見解

まず、今回の「裏投げ論争」。
発端は、女子団体のマリーゴールド11.2札幌大会の第5試合タッグマッチで、高橋奈七永選手がSareee選手の必殺技である裏投げで受け身を取り損ね首を負傷、脊柱起立筋損傷と診断され1か月の欠場になりました。負傷した高橋奈七永選手は大事に至らずに済みましたが、同月に予定されていた両選手によるタイトルマッチは延期。そしてこれを発端としてSNSでは「どちらが悪い」「危険な技を使うな」「受け身をしっかり」などの投稿が相次ぎます。それが燃え広がって、Sareee選手へ批判的なメッセージが送られたり、現役の選手と引退された選手がSNSを通じて一触即発の言い争いになったり、という論争が巻き起こってしまったのです。ざっくりとですが。

早速、個人的な見解です。
試合中の怪我で、技をかけた側受けた側どちらに問題があるか?という問題への私の答えは、「ない」です。
どっちが悪いとか下手とかじゃなく、「そこに問題なんて、ない」です。
だってプロレスという競技で戦っているんですよ。体を鍛えて受け身や技の練習を怠らないプロレスラー同士が戦っているんですよ。
それについて「どっちが悪い」いう考え方自体がまずおかしいんじゃないでしょうか。

覚悟には覚悟で応える

プロレスは攻撃だけでなく防御もあります。
相手の技を受けることが強さの証明になります。危険に見える技も受けて、それでも立ち上がる姿を見せることが観客の気持ちに響きます。どんな相手でもどんな技でも、受けることに「覚悟」を決めて挑んでいます。
攻撃する側もそんな相手に対し全力で技を仕掛けます。
手を抜くことはやさしさや思いやりではありません。覚悟をもった相手には覚悟をもって挑むことがプロレスの真髄です
ですが、相手への尊敬やリスペクトは必ず持っています。この相手のこの覚悟に自分も相当な覚悟で応える、というのが信頼です。尊敬と信頼がないと試合は成立しません。
そもそも、わざと相手を怪我させてやろうと危険な技を仕掛けるプロレスラーは存在しません。というか、存在してはならないのです。そういう人はプロレスラーと認めてはいけません。
尊敬や信頼があっても起こってしまう予期せぬ怪我に対し、どちら側に「問題がある」「責任がある」という見方はできないはずです。冒頭での車同士の事故みたいに過失割合が〇:〇というものではないのです。
むしろ、何らかのアクシデントが起きたあとに自己判断ですぐに対応や処置をした選手、状況を察知して試合を止めるなどしたレフェリー、そういった臨機応変さを称賛すべきです。
また、その負傷を次回の対戦へのテーマにしたり、キーとなる技として活かすこともあり、ひとつの出来事を点で終わらせず線に繋ぐ姿勢はプロとして感服します。
プロレスの良い部分は、どんな出来事や因縁、今回ならばアクシデントでも、その後の闘いや選手のストーリーに落とし込めるところです。
たとえ過失責任が10:0といわれても、アクシデントに「問題はない」プロレスはそれを変えることが可能です。それは、10:0が8:2や5:5になるということではなく、0:0になるのです。時間がかかったとしても、すべての出来事を糧にもドラマにも昇華させられるのがプロレスです。
プロレスラーはプロレスの中で偶発的に起こったことでも、それを蓄え、育て、実にさせて、観客に届けるために試行錯誤しています。どう落とし込めるかもプロレスラーのセンスの見せどころです。

SNSの言葉はひとつの意見

今回は選手も含めた論争にまで発展してしまいましたが、当事者以外の人がこの件について投稿していた言葉の全部、私はあくまで参考意見として見ています。
この人はこういう視点でプロレスを見ているんだなぁ。この選手はこういうキャリアだからこの見解は理解できる。という程度で、それに対し必要以上に意識したり反論したりするのも違うかと思います。
プロレスというジャンルは100人いたら100通りの感想や意見があるジャンル。であれば、この件に関してもあらゆる見方があって良いのではないでしょうか。SNSで出す言葉なんて、いい意味でも悪い意味でもひとつの意見に過ぎないのですから。
ちなみに、SNSで見かけた意見が自分と違う!と無闇に喰いかかる人なんかはもうプロレスとか趣味とかを超えて人間性の問題なので、ここでは触れません。論外です。仲良くはできませんね。
怪我の責任の在り処は技を出す側か受ける側か、どっちが悪いかなんて外野が言うことではないし、当事者だってわからないでしょうし、そもそも問題なんてないのです。

「なぜ、こんなキツい練習をするの?」

プロレスラーは対戦相手に勝つために戦います。同時に、相手の技を受ける強さも見せなければなりません。
ですが、覚悟を持った対戦相手へ尊敬の念があります。同時に信頼もあります。
対戦相手にリスペクト心を持たず、自分のやりたい技をやる、観客が盛り上がるから危険な攻めをする、だけの選手がプロレス界で賞を獲るほどの存在になれるわけがありません。チャンピオンにもなれません。試合すら組まれないでしょう。
今回の「裏投げ論争」で話題にされた選手がしっかり結果と内容を残していること、そして、アクシデントの1か月半後に延期されたタイトルマッチが無事に行われ、週刊プロレスの表紙も飾るような大熱狂の激闘となり大きな称賛を得たこと、それがすべての証明です。
意識してハードな技を使うのは、アクシデントという偶然ではなく故意だ、という人もいます。でも、対戦相手の選手へのリスペクトがあるから自発的に受け身の難しい技を出せるのであって、それは信頼がないとできない、愛がないと故意はできないのです。
そして大事なことですが、少しでも試合中の怪我を起こさぬように、プロレスラーは日々過酷なトレーニングをしています。
「なぜ、こんなキツい練習をするの?」と質問された獣神サンダーライガーさんはこう答えました。
「死なないため」
生き死にだけじゃなく、選手寿命、プロレスというジャンルの将来、全部込められたであろうこの答え、感慨深いです。

今回のまとめ。

プロレスに故意なんてない
あるのは“愛”だけ

私は「自分を守れるのは自分」だと思ってます。周りの協力も必要ですが、そのときの心や体の状態、危機の回避方法は本人にしかわからないですから。
プロレスラーの皆さんはもし試合中に何か起こったとき、決して無茶をしないでください。責任感は大事ですが、その先もプロレスラーとして生きていくことはもっと大事なので

私が「自分を守れるのは自分」を確信したのは、台湾で人がいない見知らぬ場所の横断歩道を渡っているときに、人を人として見えないのか、自分がカエルにでも見えたのか、判断能力が欠落してるのか、地元民の車が後ろから猛スピードで突進してきたときですかね。言語もできないし人もいないし、自分しか守ってくれる人はいませんでしたね。もし事故にでもなったら、あれは確実に、問答無用の10:0ですわ。


では、またここで。

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