プロレスファンの分類とバランス、の話

コラム

どんなジャンルやコンテンツにもそれを支えるファンがいて、与える側と受け取る側、そして時にはその逆で、お互い同士を絶妙な力で支え合いジャンルを築き上げています。
水平のシーソーのような感じです。
この「エンターテインメントのバランス」が美しく整っているジャンルほど価値を上げていきますし、しっかり成功しているのではないでしょうか。
一方で、そのバランスが釣り合っていない、シーソーが不安定なコンテンツも数多く存在します。

さて、プロレスはどうだろうか?提供する側(選手・団体)と頂戴する側(観客・ファン)は良い関係になっているだろうか?自分勝手な行動で迷惑をかけていないだろうか?
そのバランスについて考えてみましょう。というお話です。

プロレスファンの分類と特徴

一般的にコアな趣味と言われる鉄道の世界。一概に鉄道ファンといっても種類は様々で、乗り鉄・撮り鉄・時刻表鉄・模型鉄・音鉄などなど20種以上に種別が分類されるようです。
アイドルファンの世界も、現場派・在宅派・楽曲派など大まかに分類され、さらに枝分かれして多くの呼び名が存在します。
で、プロレス。
すべてのファンの目的は行きつくところ「プロレスを見る」になるのですが、目的までのプロセスや視点は様々です。それが「分類されるファンのタイプ」です。
プロレスと長く深く接してきた自分がその知識をもとにプロレスファンを12のタイプに分類し、それぞれを考察してみました。かなり私見的な表現にもなりますが、ご紹介します。

プロレスファン12のタイプ(私見)

黙食いただきます型

私たちは見る側。リングは聖域。選手は聖者。目の前で起こることだけが事実。ありのままを受け入れます。プロレスは受け取るもので口出しだなんて野暮なこと。現実主義。

全世界見渡し型

曜日時間国内外問わず、配信動画やSNSで団体や選手の情報を全チェック。大会が重なる休日は情報収集で終日消費。見るもの多くて時間が足りず、会場観戦が減る本末転倒さ。

特定団体特化型

プロレスというよりこの団体が好き!推し団体以外は見ないので他団体選手はよく知らない。よそはよそ、うちはうち。周囲のいざこざ無関係です。観戦時高性能一眼レフカメラは必須。

推し選手追っかけ型

好きな選手が出場する試合は団体問わず追いかけます。グッズもたくさん買います。掲載されてるときは週プロをチェック。チケットは選手にDMで依頼。つい興奮してリングに珍入する無礼者も。

地下アイドルガチ勢型

入場は自己紹介。試合は楽曲。コールは合いの手。マイクはMC。物販重要。サイン会、握手会、チェキ会、全部参加します、ポートレート買います、スパチャ投げます。対象は主に女子選手。

ビジュアル重視型

筋肉!きれいな体!端正な顔!色気!イケボ!こっち向いた!かわいい!スタイル抜群!巨乳!ウインクくれた!嬉しい!と選手の外観に惚れ惚れ。推し同士の繋がりも。

スポーツエンタメユニバース型

スポーツかショーかそんなのどうでも良くて、観客が熱狂し楽しめるのがエンターテインメントだから。WWEは世界最高のエンタメ、が信条。選手をスーパースターと呼ぶ。

懐古至上主義型

あの頃はさ、昭和の、猪木が、殺伐な、ドームも超満員で、Uは、三銃士が、など美化された昔の話ばかり。今のプロレスは見てないのになぜか今のファンを見下す。横にいたらうるさい。

ちびっ子お年寄りレジャー型

ないとー!ひろむー!いーびるかえれー!ガイジンさん大きいねえ。ここは馬場?猪木の方?と近くの体育館にプロレスが来たときは必ず見に行く。この中で一番平和かつ純真。

ガチヤオ拗らせ型

あそこのブッカーはアングルがしょっぱくワークなジョブでプッシュがブック破りなシュートを…など、隠語や流言飛語を鵜呑みし踊っている。ミスター高橋本が親。掲示板弁慶。

タニマチ系太い客型

地元に来たときはチケットを100枚購入するお得意様。試合中、選手がその人の座席まで場外乱闘を仕掛けに行く。大会後に食事会が催される場合も。40代起業成功者が多いイメージ。

喫茶店トーク評論家型

プロレスは語るもの、プロレスは論じるもの、100人いたら100通りの意見があり、それらは全て正解で、それこそがプロレス。週プロ全盛期に生まれた活字プロレス崇高派。

以上です。
あなたはどこに当てはまりますか…?

好きの出世魚

ひとつのジャンルやコンテンツ、それを好きになるとき、最初は誰もが「にわか」です。
興味を持続させて、熱が高まって、必要なものになって、それが「ファン」へ成長します。
見るものすべてが新鮮で、得る知識すべてが刺激的。実はファンになりたてが一番面白い時期じゃないでしょうか。
やがて、どっぷしその世界に浸かり、必要不可欠な支えとなり、日常にあるものになると「マニア」と呼ばれる域へ。
出世魚のように「好き」の呼び名が変化します。
それは周りからの印象であって、何十年も追いかけていても自称にわかだったり、先週初めて見てはまったけど誰よりも愛情があるマニアだっているはずです。好きの表現や度合いは自分次第、それは見続けたキャリアや出資した金額の多さで定義付けられるものではありません。

絶妙なバランスの難しさ

ですが、それ以上先までこじらすと、ういういしさも消え視野も狭くなり「カルト」「信者」になってしまい、シーソーのバランスが大崩れします。
出されたものが違っていてもNOと言えないどころか躊躇なくYESで答えてしまったり、明らかな間違いを正せないし間違いだということすら気付かなくなる。こうなると関係性は破綻です。
これは「エンターテインメントのバランス」でいう、与える側>受け取る側です。プロレスでいうと、選手>観客。団体数も少なくカリスマ性が強かった昭和の時代がこれに当てはまるのかもしれません。
一方で、ファンをマニアにさせたくて、与える側が受け取る側に媚びへつらう場合もあります。先ほどのケースと真逆で、与える側<受け取る側、選手<観客です。

距離の近さゆえ大事なこと

選手へはリスペクトを持つべきです。与えてくれているのですから。リングの上では超人であってもリングを降りたらあなたと同じ人間で、メンタルの強さは鍛えられません。
試合前や試合後に選手が売店に立つ団体が多いので直接話をすることも可能、SNSの発達で誰もが気軽にコミュニケーションをとることができる時代です。それはそれで選手の比重が大きくバランスが整っていなかった昭和の頃と比べると良い時代になったなと思います。
ただ、距離の近さを履き違えないこと。くれぐれも度を越さないこと。
プロレスラーとファンという関係以上に一般社会における人間と人間の交流でもあるので、常識的な範囲内のコミュニケーションを楽しんでほしいです。
今はネットニュースなどで知らないジャンルであっても、そのファンによる残念な不祥事も簡単に耳に入りますし、簡単に叩くこともできます。批判の対象はファンでなくそのジャンルです。
内から見ても外から見ても適度な距離感、適切な信頼感。それらを構築するにはかなりの年月や信頼が必要かもしれません。ファンが増えれば増えるほど難しくなります。
ただ、それをクリアして誰もが入りやすく、内側の居心地も最適で、外側へも威圧感を与えず、自然と輪が大きくなるようになれば、そのジャンルは未来永劫続くものになるはずです。
それはもはや「文化」です。

美しいバランスが文化に!

プロレスを世間に根付かせるには、提供する側の団体や選手の人気、試合内容や話題性の前に、まずは今ここにいる私たちファンの心構えが重要なのです。
プロレスというジャンルが美しい「エンターテインメントのバランス」を作り出し、いつか「文化」になることを願っています。

今回のまとめ。

美しいバランスとは、力点と作用点がシンクロすること。
力点は選手、作用点はファン、そして支点はプロレス。

どうせ好きなら楽しく誇らしく!

では、またここで。

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