「プロレスって、リアルなんですか?」
「自分、小さいときからプロレス好きでずっと見続けてるんですよ」と言うと、相手から「プロレスって、リアルなんですか?」とかなりの頻度で尋ねられる。
これ、ただのファンに過ぎない私が答えられるほど簡単な問いではないのだが、その相手の人にとっては現時点でプロレスに一番近い存在が私なのだ。
こんなときはしっかり納得させる明確な回答をしなければならない。
この疑問があるということは…
そもそもこの質問、これが子どもの頃なら「プロレスなんてインチキだろ!」「違うわ!家燃やすぞ!」という軽い口喧嘩と雑な放火で終わるのだけど、大人になるとそうもいかない。相手の趣味に尊重する姿をカモフラージュした「そんなに詳しくて大好きというなら疑問という形で世間がプロレスに歩み寄れない理由を突き付けてやろう」という魂胆がちらりちらりと見え隠れする、そんな距離感と気遣いがあるからだ。
だが、そういう質問を投げてくる人は、そもそもプロレスを知らない人、もしくは少し気になってるけど引っ掛かりがある人、だと認識している。知ってるけど嫌い、面白さがわからない、というアンチ層の人はプロレスの不思議さに疑問すら湧かない、そして聞かない。
ということはですよ、リアルなんですか?と聞いてくる人はプロレスが多少気になってる=プロレスファンになる可能性がある、ということじゃないですか。
なので、この答えはとても重要。どうでもいい場所での時間繋ぎのどうでもいい会話の一環だとしても、プロレスというジャンルの人口を増やす大きなチャンスなのです。この回答の説得力と目から鱗が落ちるような納得さ如何でその人がプロレスを見るきっかけとなり、プロレスに魅了されたその人がプロレスを広め、派生した熱がさらに拡大し、ゆくゆくは大ブームが訪れる、その入り口に立っている、と言っても過言じゃないでしょう。プロレス界の未来は、いま私が担っている!それくらいの気持ちでベストな答えをわかりやすく伝えなければなりません。
マニアぶって上から目線でも、有難がって親切丁寧過ぎてもいけませんし、「それも含めてプロレスだから…」なんてわかっているようでちっとも導き出せていない受け手任せの曖昧回答なんてもっての外です。さあ、シンプルかつ難しい局面ですよ。
リアルなのか、への持論
私の持論はこうです。
【 リアルではない、が、目の前で起こる出来事は嘘ではないのでフェイクとは違う。良く用いられるファンタジーという言葉のように柔らかいものでもない。あえて言えば、イマジナリー。ただ、イマジナリーの中に確固たるリアルがある。だから面白い。アイドルだってそう、映画だって演劇だってそう、作品と言われるエンターテイメントは、人間が作り出し、人間が見せて、人間が評価する以上、どこにリアルを感じるかがそれぞれ別なだけですべてがリアル。表舞台で隠された目で見えない場所に人間同士の衝突は必ず存在する。それを選手の肉体や感情表現を通じて受け取る側の想像を掻き立ててくれるのがプロレスなのだ。よって、プロレスは、リアルではないがヒューマンである。 】
相手に伝えることは、自分を確認すること
さて、この曲がりくねった格闘ロマンの道を進んできた屈強者じゃないと理解が追い付かない表現を、プロレス村と離れた街に住む言語の異なる一般の相手へわかりやすく簡潔に伝えなければ。
いま、私の肩と背中には世界中約8,500万人のジャンルの入り口で待機しているプロレスファン予備軍が乗っているはず。これはプレッシャーだ。間違って伝えないようしっかり考えたい。が、時間をかけてはいけない。
長考せずに納得できる回答をさらりと出せば自分のプロレスマイスターとしての価値も上がる。
何より、良いアンサーを即答すれば自己満足にもなる!
「〇〇のやっていることは全部〇〇〇です」
「プロレスって、リアルなんですか?」
と問われた約1秒後
「リアルですよ。人間のやっていることは全部、リアルです。」
よくやった、自分!
そして、質問したあなた。ようこそ、こちら側へ。
多分明日には質問したことすら忘れているでしょうけど。
私はこの答えをさらりと出せたこと、我ながら誇りに思っていますよ。
プロレスへの愛情と理解を再確認できたので。
今回のまとめ。
プロレスは 『ヒューマン・リアリティ』 の競技である。
では、またここで。