2025年も残り1ヶ月。プロレス界にも年末らしい風景がちらほらと顔を出してきました。
週刊プロレス最新号(No.2386)では毎年恒例の「プロレスラー選手名鑑号」と「プロレスグランプリ 2025」の告知が掲載され、いよいよ1年を振り返る時期なんだな、とさらに実感が湧きます。
現在は、読者の声がそのまま反映される投票形式の「プロレスグランプリ」と、マスコミや有識者による選考の東京スポーツの「プロレス大賞」が賞レースとして存在しています。
ですが、各賞が発表されたあとは毎年のように議論が起こります。選出や選考理由に異論や不満の声が挙がるのはもう仕方のないこと。プロレスは100人いれば100通りの見方ができるエンタメですからね。
ただ、その中でも「今年一番良かった試合」の項目は特に候補も多く、意見が一致することも、ひとつの試合が支持を集めることも、ほぼありません。ほぼ紛糾します。
試合に関しては選手や団体の好み以上に個人の趣向が出るものです。人それぞれの価値観なのですが、選考の基準が曖昧過ぎる問題もあります。
今回は「年間最高試合とベストバウト、良い試合と素晴らしい試合、何がどう違うの?」というお話です。

良い試合や最高の試合の定義も日本語も曖昧
週プロのプロレスグランプリ内のベストマッチの定義は「日本で行われた大会で最も素晴らしかった試合」と表記されています。
東スポのプロレス大賞内の年間最高試合賞は「ベストバウト」とだけ表記されて、とくに定義は明文化されていません。
簡単に言えばどちらも「いい試合」なんですが、定義を定めたところで価値観は人それぞれ。なので、「素晴らしかった」でも「ベスト」でも「印象的」でも、数ある中からどれが一番かを決めるのは無理なことだと思います。
もっと言ってしまうと、これは日本語が招いた表現方法の不安定さが原因ではないでしょうか。
いい試合、素晴らしい試合、最高の試合、記憶に残る試合、などの表現がありますが、言葉としてそれぞれに持つ、与える印象ってどんなものかを考えてみます。

言葉から伝わるそれぞれのイメージ
「好試合」
選手それぞれの持ち味が活かされ合う攻防が続く手に汗握る試合。期待していたものが見られて満足感を得られるが、近年はこの良い試合が平均点になっている印象。
「素晴らしい試合」
クオリティの高い駆け引きと攻防で試合に引き込まれたり、技以外の選手の感情的な部分が見ている側にも琴線に触れる試合。興奮も感動も兼ね備えて語りたくなる。
「最高の試合」
その後の展開のカギになったり、選手の明確な分岐点になったりと、その年の代表に相応しい時代を反映した試合。ベストバウト。内容と結果と出来事が噛み合っている。
「記憶に残る試合」
異質だったり圧倒だったり実験的だったりと、賛否両論ではあるが何年経っても覚えているほど事案や時代に流されない試合。内容や結果よりも試合のシーンや表情が重要。

日本語としてのそれぞれの意味合いを探り出すとこういう印象なのですが、だからと言って内容が濃ければ濃いほど、出した技が多ければ多いほど評価が得られるのか、試合時間が長ければ長いほど支持を集められるのか、といえばそれは絶対に違います。
かといって、記憶に残る場面だけあってもベストバウトとは言えません。

もう一度見たい試合が一番の試合
良い試合や最高の試合は、目的が一致しているが意思が一致していない日本語的な表現になるから定義も曖昧で異論も多くなるのではないでしょうか。
そこで、個人的な意見ですが、単純に「何度でも見たくなる試合」というスタンスを提案します。年間の試合で言うと「もう一度見たい試合」。これが自分の中では一番しっくりくるのです。
「2025年、一番良かった試合はなんでしたか?」だと、男子と女子、スタイル、興行形態、試合形式など表現方法が多種多様な現代のプロレス界、選択肢が多過ぎてかなり悩んでしまいます。
でも「2025年、もう一度見たい、何度でも見たい試合はなんでしたか?」だったらかなり絞られてくると思うのです。
ファンの皆さんや賞を選考する有識者の方々の「何度でも見たい試合大賞」ではどんな試合がエントリーされるのか、そして一番多く票を集める試合は何なのか、とても気になりますし、そんな話をたくさん聞いてみたいです。

自身の「もう一度見たい試合賞」を決めよう
今回のまとめ。
年間最高試合やベストバウトという一般的な称号に惑わされず
もう一度見たくなる試合を選ぼう
それが、自分の今年一番の試合

そんな私の「2025年 もう一度見たい試合大賞」は、8.7 新日本プロレス 後楽園ホール「上村優也 vs 大岩陵平」です。
多分、そこそこの票数を集めるはずの試合。でも、東スポにも週プロには選ばれなさそうな試合。
それでいいんです、自分の芯が強ければ。この両選手のように。
では、またここで。

