『我々が出来ることは、今を生きることだけだ
過去には戻れないし、未来があるかどうかも定かではない』
これは、作家である宮沢賢治が残した名言のひとつです。
過去は変えることができないし、未来は何もわからない。ただ、今と向き合って生きていくのが大事だ。と賢治は我々に教えてくれました。
と、哲学チックな論考をここで書くつもりではございません。
これって、プロレスのことでもあるよね。ということなのです。
果たして、プロレスは過去と現在と未来、どの時代が一番面白いのか。今回は賢治もきっと気になっていたそんなお話を。
懐古主義勢への対応
スポーツ、音楽、お笑い、映画、どんなジャンルでもそうですが、そこには「昔は良かったよね」「あの頃は最高だった」という懐古主義勢は必ずいるもので、そんな遠い目をして懐かしむ諸先輩気取りの方々には苦笑いという敬意を払いつつも押し付けてきた雑音という言葉を軽く手で払い避けて対処するのがベターでしょう。
なぜでしょうか、昔の時代をリアルタイムで知るプロレスファンにはそういう雑音を出す人がほかのジャンルより多い気がします。
勝手に言わせておけば良い。のですが、雑音にしては声が大きい。
なので、昔も知りつつ現役バリバリな私は「昔のプロレス面白かったよね」と言われたら、語尾に被せるように「今はもっと面白いですけどね!」と元気いっぱいにお返事します。これが私なりのマナーであり、現代のプロレスへの敬意なので。
進化ではなく増加
プロレスは年々進化しています。試合のテンポも、多様化したスタイルも、技の数の多さも、マイクアピールも、入場時の演出も、選手のコスチュームも、50年前のファンが現代のプロレスを見たら腰抜かすほど進化しています。
逆に退化はしたのでしょうか。
と考えてみたのですが、そういう部分は見当たらない。でも、薄れてきたものはあります。
観客の殺気にも似た熱。試合中の独特の緊張感。規格外の体格の選手の数。選手間の私怨。
これらは現代の一般常識的ルールやコンプライアンスなどの変化に順応するかたちで、あえて薄くしているものもあります。
そして薄くなったと感じる一番の理由。それは、団体や選手が莫大に増加し、表現や試合スタイルや大会運営の幅が大きく広がったからではないでしょうか。
プロレスには技術や身体能力の他に発想と表現力という重要なパーツがあります。それが試合のスタイルや技の攻防、また試合以外での煽りなどを司っている部分。
懐古主義勢のいう「今のプロレスは昔と全然違う」は、スタイルが大きく変化したからではなく、幅と選択肢と需要が確実に増えているからなのです。増えたことで元々あったものが薄く感じられる、ということです。
このように、縛りと多様性の中で作られるのが現代のプロレスです。
今も過去も未来も変わらないもの
昔はこうだった、といっても決して消滅したわけではありません。
だって、プロレスの根源精神である「闘い」は変わらないですから。
どんな相手、どんな形式、どんな会場であっても、対戦選手の技を受けたうえで相手に勝つ。そのために何をすべきかを思考し、肉体で表現する。それが現在も過去もそして未来も変わらないからプロレスは今も続いているのです。
思い出と戦っても勝てないのは承知のうえで、だったら今の時代で相手にも観客にも圧倒的に勝つよう集中しベストを尽くす。プロレスラーは皆そういう心掛けで日々戦っています。
それはリング上での試合を見てくれれば一目瞭然。進化も退化も関係のない、今の全力の「闘い」がそこにあります。プロレスラーは「今」とも戦っているのです。
回顧と懐古
おそらく「昔は良かった」ばかり言う人は「昔は夢中になれた=今は夢中になれない」ではないのか、と。その人個々の環境や背景の移り変わりもあるでしょうが、夢中にさせられないことは現代の課題でもあるので、それはしっかり受け止めて。
ただ、「今よりも昔の方が面白かった」は絶対に「違います!」と断言できます。
昔も面白いし、今も面白い。これです。
プロレスって競技はね、ゴールがないからずっと面白いんですよ。その人自身でゴールを設定しちゃったからですよ。
回顧の気持ちはそのままで、懐古の気持ちは捨てて、今のプロレスを見てください。
大丈夫です、夢中になれます。
どの時代のプロレスが面白いか
「どの時代のプロレスが面白かったか」と聞かれたら、私は即答で「今!」と答えます。
20年前もそう言ってましたし、20年後もそう答えるでしょう。
だって、ずっと変わらない熱量で楽しめているんですよ、プロレスを。そりゃ今が楽しいに決まってるじゃないですか。
過去ではその時点での「今」としてとても良いものを見てきたし、とても良い興奮を与えてもらえました。でも、過去には戻れない。
未来には期待や希望が「今」として実現することで胸高鳴りますし、その日がくるのが待ち遠しいです。でも、未来があるか定かではない。
だったら、今を楽しむのが一番でしょう。ノスタルジーに浸るよりも、あの頃から遥かに幅が広がった今のプロレスはいつでもどこでも見ることができるので。
今回のまとめ。
回顧は必要
懐古は不要
目に見えるのは
過去でも未来でもなく、今
宮沢賢治の言葉の通り、過去ばかり振り返ったり、未来ばかり想像して希望的観測を持ったりせず、今その瞬間を楽しめる人は、人生で得をしている人だと思います。そういう人にわたしはなりたい。
だから、昔は楽しかったね、と思い出だけで盛り上がれる人にはならない!
ノスタルジーに浸るだけの時間はもったいない!昔話ばかりしててもしょうがないし!だから学生時代の同窓会とか必要ないし!
いや、呼ばれてないことを恨んでるんじゃないし!気にしてないし!全然気にして、ない、し。
気にしてないから次回は呼んでくださいね。
では、またここで。